2025年7月、日本中が、いや、一部の海外メディアまでもが固唾をのんで見守った一つの「予言」がありました。それは、漫画家・たつき諒さんの著書『私が見た未来 完全版』によって示唆された「7月5日の大災難」です。この予言は、SNSという現代の増幅器を通じて瞬く間に日本社会を駆け巡り、単なるオカルトの話題を超えた一大社会現象にまで発展しました。しかし、運命の日とされた7月5日を過ぎた今、私たちは熱狂から一歩引いて、冷静に事実を振り返り、この現象が何を意味していたのかを深く考察する必要があります。果たして、予言は的中したのでしょうか?それとも、全くの杞憂に終わったのでしょうか。
この記事では、2025年夏の日本を席巻した「たつき諒の2025年7月予言」の真相に、あらゆる角度から深く迫ります。予言の具体的な内容とその出典の分析から始まり、予言の結果がどうであったかの徹底検証、そして一部で関連が囁かれたカムチャツカ半島沖の巨大地震やトカラ列島の群発地震との科学的な比較分析まで、入手可能な情報を網羅的に扱います。この騒動は、単に予言が当たるか外れるかというレベルの話ではありません。なぜこれほどまでに多くの人々がこの情報に惹きつけられ、拡散に加担し、中には経済活動にまで影響を受ける人々が現れたのでしょうか。その背景には、作者個人の資質や作品の魅力だけでなく、出版社の戦略、特定の宗教団体との関係性、そして現代社会が抱える情報環境の脆弱性といった、より複雑で根深い問題が横たわっているのです。
本記事を最後までお読みいただくことで、以下の多岐にわたる疑問がすべて解消される構成になっています。
たつき諒さんが予言したとされる「2025年7月の大災難」とは、一体どのようなビジョンだったのか、その詳細な内容を解き明かします。
運命の日とされた7月5日、日本で実際に何が起こったのか。予言は結局のところ当たったのか、それとも明確に外れたのかを事実に基づいて結論づけます。
7月30日に発生し日本にも津波警報をもたらしたカムチャツカ半島沖のM8.7地震や、予言の直前に頻発したトカラ列島の群発地震は、予言と何らかの関係があるのか、科学的データを用いて検証します。
今回の予言の信憑性を高めた「東日本大震災を的中させた」という過去の実績は、本当に「予言の的中」と呼べるものだったのかを客観的に再評価します。
謎のベールに包まれた作者、たつき諒さんとは一体何者なのか。その生い立ちから漫画家としての経歴、そして現在の人物像に迫ります。
この一大ブームの仕掛け人とも言える出版社・飛鳥新社、そしてその中核を担う編集者・花田紀凱氏の人物像と、彼らと旧統一教会や幸福の科学といった団体との関係性について、公表されている情報から深掘りします。
単なるオカルト話として消費するのではなく、一つの社会現象として多角的に分析することで、現代社会における情報リテラシーの重要性や、集合的な不安心理のメカニズムをも浮き彫りにしていきます。それでは、謎と憶測に満ちた予言の全貌を、一つひとつ丁寧に解き明かしていきましょう。
1. 核心に迫る!たつき諒の2025年7月予言の具体的な内容とは何か?

2025年の夏、日本社会を揺るがした「7月5日大災害説」。その全ての始まりは、一冊の漫画でした。漫画家・たつき諒さんの著書『私が見た未来 完全版』に記された内容は、多くの人々の心に漠然とした、しかし強烈な不安を植え付けました。このセクションでは、社会現象の震源地となった予言の具体的な内容について、作品の記述に基づき、その衝撃のディテールを詳細に解説していきます。
1-1. 漫画『私が見た未来 完全版』で描かれた衝撃的なビジョン
たつき諒さんが著書の中で明かした予知夢は、私たちが普段ニュースで耳にするような地震や津波といった言葉の範疇を遥かに超える、まさに地球規模の地殻変動を彷彿とさせる壮絶なものでした。彼女が見たとされるビジョンは、単なる災害の描写ではなく、地球そのものが変容するような、黙示録的な光景として描かれています。その内容は、大きく分けて以下の三つの驚くべき要素で構成されていました。
- 海底の不可解な破裂(噴火):夢の中で、たつき諒さんはまるで人工衛星からの視点のように、宇宙から地球を眺めていたとされています。その静かな光景が一変します。日本列島とフィリピン諸島の中間に位置する太平洋の海底が、何の前触れもなく「ボコン」という不気味な音を立てて破裂したといいます。それが巨大な海底火山の噴火であったのか、あるいは未知のエネルギーによる爆発だったのか、夢の中では判然としなかったと記述されており、その原因不明な点がより一層の神秘性と恐怖を掻き立てました。
- 惑星規模の巨大津波の発生:海底の破裂は、凄まじいエネルギーを海水に伝え、瞬時にして巨大な津波を発生させました。その波は一方向に向かうだけでなく、同心円状に太平洋全域へと広がり、周辺の国々へと一斉に襲いかかったとされています。これは、特定の地域を襲う津波ではなく、太平洋全体を揺るがす規模の災害であることを示唆していました。
- アジアの地形を書き換える地殻変動:この予言の中で最も衝撃的で、にわかには信じがたい部分が、津波の物理的な衝撃による地形の激変です。夢の中では、巨大な波が陸地を削り取るだけでなく、逆に海底を押し上げて新たな陸地を形成したように見えたと綴られています。その結果、香港から台湾、そしてフィリピンに至るまでの広大な地域が、まるで一つの大陸のように地続きになるという、現代の地球科学の常識では考えられない光景が描かれていたのです。
これらの内容は、政府機関が想定する南海トラフ巨大地震や首都直下地震といった現実的な災害シナリオとは比較にならないほどのスケールであり、その超現実的な描写が、科学的根拠がないにもかかわらず多くの読者に強烈なインパクトと根源的な恐怖を与えたのです。
1-2. なぜ「2025年7月5日午前4時18分」という日時が広まったのか?
この壮大な予言が、単なるSF的な読み物で終わらず、現実味を帯びた恐怖として爆発的に拡散した最大の要因は、具体的な「日時」が名指しされていた点にあります。この情報の出どころは、書籍のあとがきに記された以下の一文でした。
夢を見た日が現実化する日ならば、次にくる大災難の日は『2025年7月5日』ということになります。
この一見断定的に見える記述は、たつき諒さんがこの大災難のビジョンを初めて夢で見たのが「2021年7月5日午前4時18分」であったことに由来します。彼女の過去の体験として、重要な予知夢は「夢を見た日付」と同じ数字を持つ年月や日にちに現実化することがあった、という経験則が存在しました。この個人的な経験則が、多くの読者やインフルエンサーによって「予言の法則」として解釈され、「7月5日午前4時18分」が運命の時、すなわち「Xデー」として特定され、拡散されていったのです。
しかし、この拡散のプロセスには注意が必要です。後にたつき諒さん自身は、2025年に出版された自伝『天使の遺言』の中で、この日付の記述について重要な補足をしています。彼女は、この表現が「急ピッチでの作業で慌てて書かれたようです」「夢を見た日=何かが起きる日というわけではないのです」と述べ、出版社側の編集意図が強く反映されたものであり、自身が日付を断定する意図は本来なかったと説明しています。この軌道修正が広く知られるまでの間、「7月5日午前4時18分」という極めて具体的な日時は、SNSや動画サイトを通じて人々の不安を最大限に煽るための、最も強力なキーワードとして機能し続けたのです。
1-3. 東日本大震災の3倍規模とされる津波の恐ろしい描写
予言の内容の中で、特に人々の現実的な恐怖心を直接刺激したのが、津波の規模に関する具体的な比較表現でした。著書では、その津波の高さを「東日本大震災のそれよりも、もっと巨大でした」「東日本大震災の3倍はあろうかというほどの巨大な波です」と記されています。
2011年3月11日の東日本大震災の記憶は、多くの日本人にとって今なお生々しいトラウマとして残っています。この震災において観測された津波の最大の高さは、岩手県大船渡市で観測された遡上高(陸地を駆け上がった高さ)で40.1メートルに達しました。この数字は、人々の心に深く刻まれています。その「3倍」という表現は、単純計算で120メートルにも達する、まさに山のような、あるいは高層ビルに匹敵する大津波を想起させます。このような未曾有の津波が日本の太平洋沿岸を広範囲にわたって襲うというビジョンは、災害大国である日本に住む私たちにとって、単なる空想物語として片付けることのできない、肌感覚のリアリティをもって受け止められました。
作者自身は著書やインタビューで繰り返し「けっして不安や恐怖をあおるつもりはありません」と述べていますが、この具体的かつ衝撃的な比較描写が、結果として人々の防災意識を喚起する一方で、過度な不安を煽り、社会現象化するほどの大きな波紋を広げる主要な原因となったことは間違いないでしょう。
2. 【ネタバレ】私が見た未来・天使の遺言に記された予言の内容とは?

たつき諒さんの予言が世間の注目を集める直接のきっかけは、2021年に復刻された『私が見た未来 完全版』でした。しかし、その物語には原典である1999年版の存在や、騒動後に作者の真意を伝えるために出版された自伝『天使の遺言』といった、重要な背景が存在します。ここでは、それぞれの書籍がどのような内容で、予言に関する記述がどのように変遷していったのかを詳しく見ていきましょう。この流れを理解することで、予言が一人歩きしていった過程がより明確になります。
2-1. 幻の予言漫画『私が見た未来』初版(1999年)の内容
1999年に朝日ソノラマからひっそりと出版された初版『私が見た未来』。これは、たつき諒さんが1994年から1998年にかけて商業誌で発表した、自身の不思議な体験や夢を題材にしたオカルト・ホラー系の短編漫画をまとめた作品集でした。この時点では、後に日本中を騒がせることになる「2025年7月」に関する予言は、作品内には一切含まれていませんでした。
しかし、この初版が後年「幻の予言書」として伝説的な扱いを受けることになった決定的な理由、それは本の表紙カバーに手書きで書き加えられた「大災害は2011年3月」という謎めいた一文でした。2011年3月11日に東日本大震災という未曾有の大災害が発生した後、この記述が「震災を正確に予言していた」としてインターネットのオカルトフォーラムなどで発掘され、爆発的に話題となったのです。結果として、絶版だったこの単行本はコレクターズアイテムと化し、中古市場では一時、一冊数十万円という信じられないほどのプレミア価格で取引される事態となりました。
収録されている主な作品は以下の通りで、いずれも作者の個人的な夢や心霊体験がベースとなっています。
- 私が見た未来
- 夢のメッセージ
- 縁の先
- ちいさなカラの中
- 浮遊霊
- 地下街
- 冥界の壁
- もうひとりの自分
- 闇の中へ
これらの作品群は、後の『完全版』で詳細に語られることになる、作者の予知夢能力の原点や世界観の片鱗をうかがわせる内容となっており、この初版の存在がなければ、2025年の予言騒動も起こりえなかったと言えるでしょう。
2-2. 新たな警告が追加された『私が見た未来 完全版』(2021年)
初版がインターネット上で大きな話題となり、なりすましによる偽情報が出回るなどの混乱が生じたことを受け、作者本人が真実を伝えるべく、2021年10月に飛鳥新社から満を持して刊行されたのが『私が見た未来 完全版』です。この完全版は、単なる復刻ではありませんでした。初版に収録された漫画に加え、たつき諒さん自身による詳細な解説と、長年にわたって記録してきた秘蔵の「夢日記」の内容が新たに追加されたのです。
そして、この追補された部分に、今回の社会現象の核心となる「本当の大災難は2025年7月にやってくる」という、新たな、そしてより具体的な警告が記されていました。前述の通り、「日本とフィリピンの中間あたりの海底破裂」「東日本大震災の3倍の津波」「香港からフィリピンまでが地続きになる」といった衝撃的なビジョンが、夢日記のスケッチや地図を交えて生々しく解説されたのです。
「2011年3月」を的中させたとされる作者本人による新たな警告は、絶大な説得力を持って受け止められました。この『完全版』の発売は、単なる復刊に留まらず、予言を新たなステージへと押し上げる決定的な出来事でした。発行部数は瞬く間に100万部を超える空前の大ベストセラーとなり、テレビや雑誌でも大々的に取り上げられ、日本全体を巻き込む社会現象へと発展する直接のきっかけとなりました。
2-3. 真意を綴った自伝『天使の遺言』(2025年)の内容
『私が見た未来 完全版』が、作者自身の意図を超えて社会に大きな影響と、一部では混乱をもたらしたことを受け、たつき諒さんがその真意と経緯を自らの言葉で伝えるために、2025年6月15日に「自費出版」という形で刊行したのが、自伝『天使の遺言』です。
この本の中で、たつき諒さんは予言がセンセーショナルに一人歩きしてしまったことへの深い戸惑いを正直に綴っています。特に、今回の騒動で最も重要なキーワードとなった「2025年7月5日」という具体的な日付の記述に関しては、出版社の意向が強く反映されたものであり、自身が日付を断定したわけではないことを明確に否定しました。これは、予言の受け取られ方を大きく左右する重要な証言と言えます。
本書は、予言そのものの詳細をさらに深掘りするというよりも、たつき諒という一人の人間が、なぜ夢日記をつけ始め、数々の不思議な体験を通じて何を感じ、考えてきたのか、そして未曾有の予言騒動をどのように受け止めているのか、といった作者自身の内面に深く迫る内容となっています。また、「不安を煽ることが目的ではなかった」「防災意識を高めるきっかけとして役立ててほしい」という、作品に込めた本来の願いが、繰り返し真摯に語られています。
この『天使の遺言』の出版によって、『完全版』で衝撃的に広まった予言のイメージは、作者本人の意図とは異なる側面を含んでいたことが明らかになり、この社会現象を多角的に理解する上で欠かせない一冊となっています。
4. 結論:たつき諒の2025年7月の予言は外れたのか?

日本中が、そして一部の海外の人々までが、期待と不安の入り混じったまなざしで見守った「運命の日」。数年間にわたって様々な憶測と議論を呼んだこの予言は、最終的にどのような結末を迎えたのでしょうか。このセクションでは、予言が的中したのか、それとも外れたのかを、事実に基づいて明確に結論づけ、その後の後付け解釈についても科学的な視点から検証します。
4-1. 運命の2025年7月5日、実際には何も起こらなかった
結論から先に、そして明確に申し上げると、たつき諒さんが示唆したとされる「2025年7月5日の大災難」は起こりませんでした。予言された時刻として特定された午前4時18分はもちろんのこと、その日一日を通して、日本および太平洋周辺の国々において、予言で描かれたような巨大地震、大津波、海底の破裂、地形の変動といった異常現象は一切発生しませんでした。
気象庁が発表する地震情報データベースを遡って確認しても、2025年7月5日に日本国内で人の体に揺れを感じるような規模(震度1以上)の地震は、ごくわずかな小規模地震を除き、観測されていません。ましてや、壊滅的な被害をもたらすような大規模災害の兆候は皆無でした。この事実をもって、予言は完全に「外れた」と結論づけることができます。
この結果を受け、当日まで盛り上がりを見せていたSNS上では、「やっぱり何も起こらなかった」「よかった」といった安堵の声が広がると同時に、「あれだけ騒いでいたのは何だったのか」「やはりデマだった」といった冷静な意見や、一連の騒動をネタにする投稿が多数を占めることとなりました。YouTubeの地震ライブ中継に集まっていた20万人以上の視聴者も、何事もなかったことを確認し、静かに解散していったのです。
4-2. 後付けで浮上したトカラ列島やカムチャツカ半島地震との関連性

※20205年7月30日発生の地震に関する画像ではありません。
7月5日に予言が明確に外れた後、一部の予言支持者やオカルトファン、あるいは再生数稼ぎを目的とするインフルエンサーの間では、「日付が少しずれただけではないか」「他の地震が予言の前兆、あるいは本番だったのではないか」といった、いわゆる”後付け”の解釈が試みられました。特に注目され、予言と無理やり結びつけられようとしたのが、予言日の前後に発生した二つの顕著な地震活動です。
- トカラ列島の群発地震:6月下旬から7月上旬にかけ、鹿児島県のトカラ列島近海で地震活動が活発化し、震度1以上の地震が1000回以上という異常な頻度で発生しました。特に7月3日には最大震度6弱を観測する強い揺れもあり、「大災害の前触れではないか」と一部で深刻に不安視する声が上がりました。
- カムチャツカ半島沖巨大地震:7月30日の午前8時25分ごろ、今度は日本の遥か北東、ロシアのカムチャツカ半島付近を震源とするマグニチュード8.7という巨大地震が発生しました。この地震により、北海道から九州に至る日本の太平洋沿岸の広い範囲に津波警報が発表され、テレビやネットは一時騒然となり、「これこそが予言の正体だったのでは」という声が瞬時に広がりました。
しかし、これらの地震活動も、たつき諒さんの予言の内容と照らし合わせると、関連性を見出すのは極めて困難です。以下の比較表をご覧ください。
項目 | たつき諒の予言(『私が見た未来』より) | トカラ列島群発地震(2025年6-7月) | カムチャツカ半島沖地震(2025年7月30日) |
---|---|---|---|
発生時期 | 2025年7月5日 | 2025年6月下旬〜7月上旬 | 2025年7月30日 |
震源域 | 日本とフィリピンの中間あたりの海底 | 鹿児島県 トカラ列島近海 | ロシア カムチャツカ半島付近 |
主な現象 | 海底破裂、東日本大震災の3倍の津波、大規模な地形変動 | 群発地震(最大震度6弱)、津波なし | M8.7の巨大地震、日本での津波は最大でも数十cm程度 |
このように、発生した日時、場所(震源域)、現象の規模と内容、そのいずれの点においても、予言の内容とは全く一致しません。トカラ列島は震源が全く異なり、津波も発生していません。カムチャツカ半島沖地震は規模こそ大きいものの、震源が遠く、日本への津波の影響は限定的で、予言された「東日本大震災の3倍」とは比較になりませんでした。気象庁も、これらの地震活動と、懸念されている南海トラフ巨大地震などとの直接的な関連性は低いとの科学的見解を明確に示しています。したがって、これらの地震を予言の的中と結びつけるのは、客観的な事実に基づかない、希望的観測やこじつけの域を出ない解釈と言わざるを得ないでしょう。
5. 信憑性は?たつき諒の当たった予言とされる過去事例を徹底検証
今回の「2025年7月予言」が、単なる与太話で終わらず、社会を巻き込むほどの大きなうねりとなった背景には、作者であるたつき諒さんが過去にいくつかの歴史的な出来事を「的中させた」という強力な”実績”があったからに他なりません。特に「東日本大震災を予言した」という事実は、彼女の言葉に特別な重みを与えました。しかし、それらの予言は本当に非の打ちどころのない「的中」と呼べるものだったのでしょうか。ここでは、特に有名ないくつかの事例を、先入観を排して客観的に再検証してみます。
5-1.【東日本大震災】「大災害は2011年3月」の記述は本物か?
たつき諒さんの名を一躍有名にした、最も代表的な的中例が東日本大震災です。前述の通り、1999年に刊行された『私が見た未来』の初版の表紙カバーには、作者の手書き文字で「大災害は2011年3月」と明確に記されていました。これは、発生の「年月」が完全に一致しており、単なる偶然として片付けるにはあまりにも具体的で衝撃的です。実際にこの事実が、多くの人々にたつき諒さんの予知能力を信じさせる最大の根拠となりました。
しかし、この驚異的な一致を認めつつも、予言として完璧であったかを冷静に分析すると、いくつかの重要な留保事項が浮かび上がってきます。
- 場所の特定が全くない:表紙の記述には、「日本で」や「東北地方で」といった、災害が発生する場所に関する情報は一切含まれていません。
- 災害内容の具体性がない:「地震」や「津波」といった、どのような種類の災害が起こるのかについての具体的な記述もありません。
後に刊行された『完全版』の中で、たつき諒さん自身はこの夢が津波を伴う災害の夢であったと解説していますが、初版の表紙に書かれた文字情報だけを客観的に見れば、「2011年3月に、世界のどこかで、何らかの大きな災害が起こる」という、非常に広範で曖昧な解釈も成り立ちます。もちろん、日本に住む作者が見た夢であることから日本国内の災害と考えるのが自然ではありますが、予言の厳密性という観点からは、限定的な情報であったことは否めません。年と月の一致は驚異的ですが、これを完全無欠な予言の的中と断定するには、やや情報が不足しているという指摘も可能です。
5-2.【フレディ・マーキュリーの死】日付まで一致した夢の真相
次に有名なのが、伝説的なロックバンド「QUEEN」のボーカル、フレディ・マーキュリーさんの死に関する予言です。これは多くのファンを持つ著名人の死ということもあり、人々の記憶に強く残りました。たつき諒さんは、自身の夢日記に以下の2つの関連する夢を記録しています。
- 1回目の夢(1979年11月24日):フレディ・マーキュリーが亡くなったというニュースをテレビで見る夢。
- 2回目の夢(1986年11月28日):QUEENのメンバー4人の像が並んでいるが、フレディの像だけが無くなっていたという象徴的な夢。
実際にフレディ・マーキュリーさんがエイズによる合併症で亡くなったのは、1991年11月24日です。注目すべきは、1回目の夢を見た日付と、実際に亡くなった日付が、年こそ違うものの「11月24日」で一致している点です。この日付の一致が、予言の信憑性を高める要素としてしばしば強調されます。しかし、これも厳密に見れば、年も含めた完全な日付の一致ではありません。また、人間は生涯で膨大な数の夢を見ます。その中から、後になって現実の出来事と符合するものだけをピックアップして「当たった」と結論づけるのは、「チェリー・ピッキング(自分に都合の良い情報だけをつまみ食いする行為)」と呼ばれる認知の偏りである可能性も否定できません。
5-3.【ダイアナ元妃の事故死】本当に予言していたと言えるのか?
イギリスのダイアナ元妃の悲劇的な死についても、的中例として挙げられることがあります。たつき諒さんは1992年8月31日に、お城のような場所で、一人の高貴な女性が赤子を抱いており、その近くに「DIANNA」という文字が見える、という夢を見たと記録しています。
実際にダイアナ元妃がパリで交通事故により亡くなったのは、1997年8月31日です。こちらも、夢を見た日付と亡くなった日付が「8月31日」で一致しています。しかし、この事例については、たつき諒さん自身が著書の中で非常に慎重な見方を示しています。彼女は、この夢について「亡くなるというような悲しいイメージは全くなかった」「これは読者の方によって『意味付け』されたものと言えるかもしれません」と述べており、自身では明確な死の予言とは捉えていなかったことを示唆しています。実際に夢のスケッチには「繁栄や生命力」といったポジティブな言葉も添えられており、事故死を直接的に示すような内容は含まれていませんでした。これもまた、後付けで意味が与えられた事例と考えるのが妥当かもしれません。
5-4. その他の予言と「的中率90%」説の真偽
上記の事例の他にも、阪神・淡路大震災や歌手の尾崎豊さんの死などを予言したとも言われています。これらの印象的な事例が積み重なることで、一部のメディアやファンの間では「たつき諒の予言的中率は90%にも達する」といった、驚異的な言説も生まれました。しかし、この「90%」という具体的な数値には、客観的かつ統計的な根拠は全く存在しません。これは作者自身が主張したものではなく、ファンやメディアが作り上げた一種の「神話」である可能性が極めて高いです。人間の心理として、外れた無数の予言や、曖昧で解釈のしようがない夢は記憶から消え去り、たまたま的中したかのように見える印象的な事例だけが強く記憶に残るものです。このような「確証バイアス」が働くことで、実際以上に的中率が高く見えてしまう現象は、予言や占いの世界ではごく一般的に見られることなのです。
6. 謎のベールに包まれた作者・たつき諒とは誰で何者なのか?
これほどまでに社会を大きく揺るがした予言の発信者、たつき諒さん。しかし、その素顔は厚いベールに包まれています。メディアへの露出を極力避け、静かな生活を望む彼女は、一体どのような人物なのでしょうか。公表されている断片的な情報を丹念に集め、その人物像、ユニークな経歴、そして多くの人が気になるプライベートな側面に迫ります。
6-1. たつき諒のwiki風プロフィール【学歴・経歴】
まず、現在までに明らかになっているたつき諒さんの基本的なプロフィールを、分かりやすく表にまとめました。
項目 | 内容 |
---|---|
ペンネーム | 竜樹 諒(たつき りょう)、たつき 諒(主にホラー作品で使用) |
生年月日 | 1954年12月2日 |
現在の年齢 | 70歳(2025年7月現在) |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
職業 | 元漫画家(現在は執筆活動を再開) |
活動期間 | 1975年 – 1999年(第一期)、2021年 – 現在(第二期) |
彼女の人生の転機となったのは、高校2年生の時に遭った交通事故でした。この経験から、「家でできて、生きた証を残せ、顔を出さずに済む仕事」として漫画家の道を志したと語っています。まさにその後の彼女のスタンスを予見するような動機です。高校卒業後、出版社への持ち込みやアシスタント経験を経て、1975年、20歳の若さで大手少女漫画雑誌『月刊プリンセス』にて『郷ひろみ物語』で華々しくデビューを果たしました。
その後、約25年間にわたり少女漫画家として活動しましたが、1999年に「ネタ切れ」を理由に44歳で一度漫画家を引退します。引退後は、驚くべきことに漫画の世界とは全く異なる分野で社会人生活を送っていました。コンピュータグラフィック、医療事務、福祉住環境コーディネーター、建築関係など、多彩な職務経験を積んでいたと本人が明かしています。
そんな彼女が再び歴史の表舞台に登場するきっかけとなったのが、前述の通り、引退前に出版した『私が見た未来』が「東日本大震災を予言した本」としてインターネット上で神格化されたことでした。当初は静観していたものの、悪質な「なりすまし」が出現し、偽の予言を発信するなど事態が混乱したため、真実を伝えるべく2021年に『完全版』を出版。これが予期せぬ社会現象を巻き起こし、彼女は再び作家として活動することになったのです。
6-2. たつき諒の顔写真は公開されている?若い頃の画像は?
たつき諒さんは現在、公の場に姿を現すことはなく、メディアのインタビューも基本的に顔を出さない形で行っています。そのため、現在の彼女の容姿を知ることは困難です。しかし、一度だけ、若き日の顔写真が公になったことがあります。それは、彼女が20代後半だった1983年(昭和58年)に発行された自身の単行本『宝石物語(ジュエルストーリー)』の背表紙(カバーの折り返し部分)に掲載された著者近影です。

そこに写っているのは、当時28〜29歳頃と思われる、白いワンピースをまとったスレンダーな女性の姿です。趣味である旅行の途中で、アメリカ・カリフォルニアの八百屋で撮影されたスナップ写真のようで、若き日のたつき諒さんの素顔を垣間見ることができる非常に貴重な一枚となっています。ただし、写真は不鮮明であり、ここから現在の容姿を想像することは難しいでしょう。なお、彼女自身が描く自画像は、決まってロングヘアで眼鏡をかけた姿で表現されています。
6-3. 結婚はしている?夫や子供、家族構成について
たつき諒さんのプライベート、特に結婚や家族に関する情報は、ご本人が公にしていないため、ほとんどが謎に包まれています。彼女の著作やインタビューを読み解いても、家族構成について具体的に語られることはありません。
しかし、わずかながら推測の手がかりとなる発言が存在します。2022年に行われた『文藝春秋』のインタビュー記事の中で、彼女は自身の漫画がインターネットで大きな話題になっていることを知った経緯について、「甥や姪がスマホの画面を示して『こんなに騒がれているよ』と教えてくれました」と語っています。この発言は示唆に富んでいます。もし彼女自身に子供がいれば、最も身近な存在である自分の子供からその話を聞くのが自然な流れだと考えられます。そこから、「ご自身にはお子さんがおらず、ご兄弟姉妹にお子さん(甥・姪)がいるのではないか」と推測する声が多く上がっています。
もちろん、これはあくまで状況からの推測に過ぎず、結婚の有無や夫の存在、子供がいないと断定することはできません。彼女が静かな生活を望んでいる以上、憶測でプライベートに踏み込むべきではないでしょう。確かなことは、彼女が家族との関係を大切にしているであろう、ということです。
7. 予言の背景を探る:出版社と関係者の実態

「たつき諒の予言」がなぜこれほどまでの社会現象となったのか。その答えは、作品そのものが持つミステリアスな魅力だけでは説明できません。このブームの背後には、それを世に送り出し、巧みにプロモーションした出版社の存在、そしてその中核をなす編集者の思想と人脈が大きく影響しています。ここでは、復刻版を出版した飛鳥新社、その中心人物である花田紀凱氏、さらに彼らとの関係が指摘される旧統一教会や幸福の科学といった団体について深掘りし、この社会現象が生まれる土壌となった複雑な背景構造を解き明かしていきます。
7-1. 『私が見た未来 完全版』の出版社・飛鳥新社とは?
今回の予言ブームの震源地となった『私が見た未来 完全版』を出版したのは、株式会社飛鳥新社です。1973年に設立されたこの出版社は、特定のジャンルに偏らず、政治、社会評論、歴史、サブカルチャー、エンターテインメントなど、非常に幅広い分野の書籍や雑誌を手掛けています。その出版物の中でも特に際立っているのが、強い保守系の論調を持つ書籍や雑誌を数多く刊行している点です。
飛鳥新社の企業カラーを最も象徴しているのが、後述する編集者・花田紀凱氏が編集長を務める月刊オピニオン誌『月刊Hanada』の存在です。この雑誌は、日本の保守論壇において大きな影響力を持っており、飛鳥新社が単なる出版社ではなく、特定の思想的潮流の一翼を担うメディアであることを示しています。このような出版社の特性が、『私が見た未来』というオカルト的なコンテンツを、社会的なメッセージ性を持つ書籍としてプロデュースする上での土台となった可能性は十分に考えられます。
7-2. 編集長・花田紀凱とは何者?『月刊Hanada』の実態
この予言ブームを語る上で、作者のたつき諒さんと同等、あるいはそれ以上に重要なキーパーソンと言えるのが、編集者の花田紀凱(はなだ かずよし)氏です。
- 輝かしい経歴と物議:1942年生まれの花田氏は、日本の出版界における伝説的な編集者の一人です。特に有名なのが、文藝春秋在籍時代に『週刊文春』の編集長を務め、数々のスキャンダル報道を世に送り出し、同誌を週刊誌のトップセラーに育て上げた実績です。一方で、女子高生コンクリート詰め殺人事件での加害者少年の実名報道や、『マルコポーロ』編集長時代のホロコースト否認記事掲載(マルコポーロ事件)など、その過激な編集方針は常に大きな議論を呼んできました。
- 『月刊Hanada』というプラットフォーム:文藝春秋を退社後、複数の雑誌編集長を経て、2016年からは飛鳥新社が発行する『月刊Hanada』の編集長に就任。この雑誌は、安倍晋三元首相をはじめとする大物保守系政治家や、櫻井よしこ氏のような著名な保守系言論人が頻繁に登場するプラットフォームとなっています。特定の政治的立場から時事問題を鋭く論じることが多く、その影響力は保守層を中心に絶大です。
花田氏が持つ強力な人脈、そして物議を恐れない話題作りの手腕が、一冊の古い漫画を100万部超のベストセラーへと押し上げる原動力となったことは想像に難くありません。
7-3. 花田紀凱と旧統一教会、幸福の科学との関係性とは?
花田紀凱氏および彼が編集する『月刊Hanada』は、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)や幸福の科学といった新宗教団体との思想的な近さや、メディア上での協力関係が指摘されています。
- 旧統一教会との関係:『月刊Hanada』の誌面には、旧統一教会の機関紙である「世界日報」の編集幹部や、教団の現役幹部、さらには教団の法的な立場を擁護する弁護士などが複数回にわたって寄稿しています。特に、2022年の安倍晋三元首相銃撃事件以降、日本社会全体で教団への批判が最高潮に達する中で、同誌は「総力特集 統一教会批判は魔女狩りだ!」といった見出しの特集を組むなど、一貫して教団を擁護する論陣を張っています。花田氏自身もネット番組で教団関係者と対談するなど、親密な関係がうかがえます。
- 幸福の科学との関係:幸福の科学が運営する関連サイト「ザ・リバティWeb」において、花田氏の「守護霊霊言」と称するコンテンツに関する記事が掲載された記録があります。これは、教団側が花田氏を保守論壇の重要人物として強く意識し、その思想に関心を寄せていることの現れと考えられます。
これらの団体は、いずれも「反共産主義」や「伝統的家族観の重視」といった点で、花田氏や『月刊Hanada』が掲げる保守的な政治思想と高い親和性を持っています。『私が見た未来』が持つオカルト的な要素と、これらの宗教団体が説くスピリチュアルな世界観、そしてそれを支持層とする保守的な政治思想が、今回の出版の背景で複雑に絡み合い、相乗効果を生み出していた可能性は否定できません。
7-4. 旧統一教会、幸福の科学が抱える問題点
『私が見た未来』の背景を理解する上で、これらの宗教団体が日本社会でどのように見なされてきたかを知ることは不可欠です。
- 旧統一教会:数十年にわたり、信者やその家族から「霊感商法」や「高額な献金の強要」による甚大な経済的・精神的被害が報告されており、数多くの民事訴訟でその違法性が認定されてきました。また、自民党を中心とする政治家との根深い癒着関係が安倍元首相の銃撃事件を機に白日の下に晒され、社会的に極めて厳しい批判に直面し、2025年には裁判所から解散命令が下される事態となっています。
- 幸福の科学:創始者である大川隆法氏が歴史上の偉人や存命中の著名人の「守護霊」を呼び出して語らせるという「霊言」を大量に出版し、その販売手法や信者による大量購入などが問題視されてきました。また、政治団体「幸福実現党」を組織し、国防強化や核武装の検討といった独自の政治的主張を強力に展開しています。
『私が見た未来』という一冊の漫画が、単なる個人の夢物語から巨大な社会現象へと変貌を遂げた背景には、単なる読者の予言への興味だけでなく、特定の思想を持つ出版社や、社会的に物議を醸してきた宗教団体が持つ強力なメディア戦略や政治的意図が、複雑に、そして巧妙に影響し合っていた可能性があることを、私たちは冷静に認識しておく必要があります。
8. 社会現象の裏側:デマ拡散とノストラダムスの大予言との比較

「2025年7月5日」という日付は、単なる予言として消費されるに留まらず、SNS時代の情報伝達の光と影を映し出す一大社会現象となりました。なぜ、科学的根拠が皆無であるにもかかわらず、この情報が国境を越えて拡散し、一部の人々の具体的な行動にまで影響を与えるに至ったのでしょうか。ここでは、その拡散のメカニズムを現代的な視点から分析し、かつて一世を風靡した「ノストラダムスの大予言」との比較を通じて、私たちが情報過多の時代を生き抜くための教訓を探ります。
8-1. デマ拡散で損害賠償請求は可能か?弁護士の見解
この一連の騒動が残した最も大きな爪痕の一つが、現実の経済活動への影響です。特に香港では日本への旅行を控える動きが顕著となり、航空便の運休や減便が相次ぎました。野村総合研究所のエコノミストによる試算では、この騒動によるインバウンド需要の減少がもたらす経済損失は、最大で5,600億円規模に達する可能性があると指摘されています。では、このようなデマ情報によって明確な損害を受けた企業や個人は、情報の発信源である作者や出版社に対して損害賠償を請求することは法的に可能なのでしょうか。
弁護士JPニュースなどの複数のメディアで報じられている専門家の見解を総合すると、その答えは「極めて難しい」というのが実情です。その主な法的ハードルは以下の通りです。
- 表現の自由の壁:日本の憲法で保障されている表現の自由の観点から、「予言」や「占い」といった内容は、たとえ非科学的であっても個人の思想や創作の範囲内とみなされることが多く、それ自体を違法とすることは困難です。
- 因果関係の立証の困難さ:「予言があったから旅行をキャンセルした」という個人の判断と、予言の発信行為との間に、法的に認められる直接的な因果関係を証明することは非常に難しい課題です。キャンセルには他の要因も絡む可能性を排除できないからです。
- 違法性の認定:単に「予言が当たらなかった」という事実だけでは、発信者の行為に民法上の不法行為が成立する「違法性」があるとまでは言えません。
ただし、注意すべき点もあります。もし予言に便乗し、「このお守りを買わないと、あなたの一家は大災難に見舞われる」といった形で、個人の不安を具体的に煽り、不当に高額な商品を購入させたり寄付を求めたりする行為があった場合、それは悪質な霊感商法として、2023年に施行された「不当寄付勧誘防止法」や消費者契約法に抵触し、契約の取り消しや返金請求が可能になる場合があります。しかし、今回の漫画の作者や出版社が、書籍の販売を超えてそのような直接的な勧誘行為を行ったという事実はなく、彼らが直接的な法的責任を問われる可能性は極めて低いと見られています。
8-2. なぜ人々は信じたのか?SNS時代の情報拡散メカニズム
科学的根拠がないにも関わらず、なぜこれほど多くの人々がこの予言に強い関心を持ち、一部は真剣に信じるに至ったのでしょうか。その背景には、現代の情報インフラであるSNSが持つ、特有の構造的要因が存在します。
- インフルエンサーによる権威付けと拡散:人気YouTuberやTikTokerが「東日本大震災を当てた本」として面白半分に取り上げたことで、情報は何十万、何百万という人々に一気にリーチしました。彼らにとってこの予言は、視聴者の好奇心を刺激し再生数を稼げる格好の「コンテンツ」であり、その影響力はもはや伝統的なマスメディアを凌駕することさえあります。
- アルゴリズムが作り出す思考の牢獄:一度でもこの種の予言に関する動画をクリックしたり、「いいね」を押したりすると、YouTubeやTikTok、X(旧Twitter)のアルゴリズムが「このユーザーはオカルトに興味がある」と判断し、類似のコンテンツを次から次へとフィードに表示します。これにより、利用者は同じような情報に繰り返し、そして集中的に接触することになり、その情報があたかも真実であるかのように感じてしまう「単純接触効果」が強力に働きます。
- エコーチェンバー現象とフィルターバブル:SNSは、自分と似た意見や興味を持つ人々と繋がりやすいという特性があります。予言を信じる人々がコミュニティを形成し、その中で情報が反響し合う(エコーチェンバー)ことで、その意見はますます強化されます。同時に、アルゴリズムによって自分に心地よい情報だけが届けられ、反対意見や客観的な情報が遮断される「フィルターバブル」に陥り、自分の信じていることが世の中の総意であるかのように錯覚してしまうのです。
これらのSNS特有の要因が複合的に絡み合うことで、かつてナチスの宣伝大臣ゲッベルスが言ったとされる「嘘も百回言えば真実となる」という言葉を、現代のテクノロジーが大規模に、そして自動的に実践してしまうような状況が作り出されたのです。
8-3. 1999年「ノストラダムスの大予言」との共通点と相違点
今回の騒動は、四半世紀前の1999年に日本中を席巻した「ノストラダムスの大予言」ブームを彷彿とさせました。両者には「終末論」という共通のテーマがありながらも、時代背景を反映した明確な相違点が見られます。この比較を通じて、現代社会の変化を浮き彫りにすることができます。
比較項目 | ノストラダムスの大予言 (1999年) | たつき諒の予言 (2025年) |
---|---|---|
主要な情報源 | 五島勉氏によるベストセラー解釈本、テレビの特番、雑誌の特集記事 | 漫画『私が見た未来』、YouTube、TikTok、X (旧Twitter)などのSNS |
拡散の主たる担い手 | テレビ局、出版社などの既存マスメディア | YouTuber、インフルエンサー、そして一般の個人ユーザー |
拡散の速度と範囲 | 数年かけて徐々に広がり、主に国内が中心 | 爆発的・瞬時に拡散し、国境を越えてアジア圏にも波及 |
情報の具体性 | 「1999年7の月、恐怖の大王が来る」と詩的で曖昧 | 「2025年7月5日午前4時18分に大津波」と極めて具体的 |
社会の受け止め方 | 真剣に終末を信じ、会社を辞める人も現れるなど、社会全体での世紀末ムードが醸成 | 防災意識の喚起という側面もあるが、多くは「エンタメ」や「ネタ」として消費。経済的影響はインバウンドなど局所的 |
両者の最大の違いは、情報流通のあり方です。1999年当時は、テレビ局や出版社といったマスメディアが情報の「門番(ゲートキーパー)」として機能し、良くも悪くも情報はある程度編集・選別されていました。一方、2025年の騒動では、誰もが発信者となれるSNSが主戦場となりました。これにより、情報の拡散速度と規模は比較にならないほど増大しましたが、同時に情報の真偽を問うプロセスが省略され、エンターテイメントとして気軽に消費・拡散される傾向が顕著になったと言えるでしょう。今回の騒動は、情報環境が激変したこの25年間を象徴する、極めて現代的な出来事だったのです。
9. 総括:たつき諒の予言騒動から私たちが学ぶべきこと
2025年の夏、日本中を駆け巡った「たつき諒の大災害予言」。最終的に、予言は現実のものとはならず、多くの人々は安堵のため息をつきました。しかし、この一連の騒動を、単に「当たらなくてよかった」という一言で片付け、記憶の彼方へ葬り去ってしまうべきではありません。この現象は、現代社会が抱える多くの課題を映し出す鏡であり、そこから私たちが得られる教訓は非常に大きいものがあります。
最後に、本記事を通じて明らかになった数々の事実を総括し、未来の私たちが同様の情報の渦に巻き込まれないために、どのように考え、行動していくべきかを提言します。
本記事の要点まとめ
- 予言の結末は「外れ」:最も重要な事実として、2025年7月5日に、たつき諒さんが示唆したとされる壊滅的な大災害は発生しませんでした。後日発生したカムチャツカ半島沖の巨大地震や、予言前に頻発したトカラ列島の群発地震も、予言の内容(発生日時、場所、規模、内容)とは全く異なり、関連性は科学的に否定されています。
- 作者本人の真意との乖離:作者のたつき諒さん自身は、自伝『天使の遺言』の中で、「7月5日」という日付を特定したのは出版社の意向が強く反映された結果であり、自身の本意ではなかったと説明しています。また、「予言漫画ではない」「不安を煽るつもりはなかった」と繰り返し述べており、世間の受け止め方と作者の真意との間には大きな乖離が存在したことが明らかになりました。
- 過去の「的中例」の客観的評価:予言の信憑性を高めた最大の要因である東日本大震災の「2011年3月」という記述は、年月の一致こそ驚異的ですが、場所や災害内容の具体性を欠いています。その他の的中例とされるものも、後付けの解釈や偶然の一致の可能性を排除できず、厳密な意味での「予言的中」と断定するには証拠が不十分です。
- ブームの背景にある複雑な構造:復刻版を出版した飛鳥新社、およびその編集長である花田紀凱氏は、旧統一教会や幸福の科学といった団体と思想的な親和性を持つ保守系のメディアです。彼らの持つメディア戦略や読者層が、オカルト的なコンテンツを社会的なメッセージへと昇華させ、ブームを加速させる一因となった可能性が指摘されます。
- SNS時代におけるデマ拡散の脅威:科学的根拠のない一つの情報が、影響力のあるインフルエンサーとSNSの強力なアルゴリズムによって国境を越えて増幅され、香港からの観光客減少(推定経済損失5600億円)といった、現実の社会経済にまで具体的な損害を及ぼした事実は、現代社会の脆弱性を象徴しています。
- 法的責任を問うことの難しさ:「予言が外れた」という事実だけで、情報の発信者に法的な責任を問うことは極めて困難です。これは、情報の受け手である私たち一人ひとりに、情報を批判的に吟味する能力(情報リテラシー)が強く求められていることを意味します。
未来への教訓:防災意識と情報リテラシーという両輪の重要性
この一大騒動から私たちが学ぶべき、最も重要かつ実践的な教訓は二つあります。それは、いわば車の両輪のようなものです。
一つ目の車輪は、「防災意識を高めるための貴重なきっかけとして活かす」ということです。たつき諒さん自身も「この関心が安全対策や備えにつながることを願っております」とコメントしています。予言が当たるか外れるかという非生産的な議論に一喜一憂するのではなく、日本が世界有数の災害大国であるという動かしがたい事実を再認識する機会と捉えるべきです。この騒動をきっかけに、自宅の非常用持ち出し袋の中身を点検したり、地域のハザードマップを確認したり、家族と災害時の連絡方法や避難場所について具体的に話し合ったりすること。それこそが、この現象から得られる最も建設的で価値のある行動と言えるでしょう。
そして、もう一つの車輪が、「情報リテラシーという羅針盤を常にアップデートする」ことです。SNSの海には、真実も嘘も、善意も悪意も、あらゆる情報が混在しています。センセーショナルな見出しや、自分の信じたい情報ばかりに目を奪われるのではなく、「その情報源は本当に信頼できるのか?」「客観的・科学的な根拠は示されているか?」「情報を発信している人物や組織には、どのような意図があるのか?」と、常に一歩立ち止まって批判的に考える姿勢が不可欠です。気象庁や自治体などの公的機関が発信する一次情報と、個人の見解や憶測に過ぎない二次情報とを冷静に見比べ、何が検証された事実で、何が単なる意見や憶測なのかを峻別する能力。それが、これからの情報過多の時代を賢く、そして安全に生き抜くための羅針盤となるのです。
「7月5日」は静かに過ぎ去りましたが、自然災害のリスクがこの国から消え去ったわけではありません。今回の経験を貴重な教訓とし、確かな備えと確かな知識という両輪をしっかりと回して、いつか必ず来るかもしれない本当の「その日」に備えたいものです。
コメント